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​重野悠

作曲家

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どんな人?

一般大を卒業後に作曲の道を諦めきれず国立音楽大学の作曲専攻に入り直した一途な方。やりたいことを実現するためなら、ハードルの高いことでも、たくさん情報を探して考えて、きちんと実現する、すっごい方。150%の心遣いと気配りができてしまうほどの観察眼の持ち主。

現在、音楽制作と、クラシック練習やレッスンに最適なワオン・スタジオを運営する株式会社の創設者 & 代表取締役。

公式SNS:twitterinstagram

HP: ワオン・ワークス株式会社

HP:ワオン・スタジオ

Interview
vol.2

取材日:2022年5月31日

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重野さんは、国立音大の作曲科を出て作曲家・編曲家として活動しつつ、2016年に音楽制作を行うワオン・ワークスを設立されました。
 

──まずはなぜ音楽をやっているのか、なぜ作曲家になろうと思ったかをお伺いできますでしょうか?

プロフィールには「アラン・メンケンの音楽に魅了され、作曲の勉強を始める」とありますが...

 

 

中学まではずっとダンスをやっていたんです。その時から"音楽にノる"ということがすごく好きで音楽にもずっと興味があったんですけれど、中学までは音楽を専門的に勉強してはいなかったんです。
高校受験でダンスを一旦やめたこともあって、高校では「あ、吹奏楽団にずっと入ってみたかったな」という想いが強くなり、吹奏楽部に入ったんです。そこでチューバを担当することになり、初めて楽器を演奏することになったんですね。その時の音楽や楽譜の知識なんて、中学の音楽の授業まででしたが、そこで初めて吹かされたのが、《OMENS OF LOVE》という、吹奏楽の業界では大有名な楽曲でした。初めて吹かされたので、すぐには吹けないんですよ、吹けないんだけれどもみんなと吹いているのがすごい楽しくて...!その時に「こんなものをつくりたい!」と思ったんです。
演奏を突き詰めるのも楽しいし頑張れるだろうけれども、「作りたい」という想いが強かったんですよね。演奏しながらも「なんでこんな音がするんだろう」ってずーっと考えるようになっていったんです。

 ──その時からすでに「演奏者でいたい」というよりも「作りたい」と思われたんですね。

ではそのタイミングで作曲の勉強を始めたのでしょうか?

いや、当時は作曲の勉強をする術がなかったんですよ。
高校の吹奏楽部の恩師が国立音大出身の方だったので、その先生に「作曲家になりたいんですが、どうしたらよいですか?」とお伺いしました。でも恩師の先生には「私は和声三巻までは教えられない*2 」とおっしゃられて、しかも親にも大反対されてしまった。だから、その時は一般の大学に進学しました。

大学ではビックバンドの部活でトロンボーンを吹いていましたけど、音楽とは全く関係ない学部で卒論を書いて卒業したんです。この時にプレゼンテーションやエクセル、HTMLやC言語などの勉強をしたのが、今の活動の一部に活きているかなと感じています。
その大学のある研究室にスピーカーを自作していたりする音響の研究室があって、面白そうだからって研究室訪問にいったんですね。そしたら、教授の先生が来年で定年だからもう生徒はとらないし、後継者もいないから来年から研究室もなくなっちゃうし、しかもその他に音響系の研究室はないよと言われたんです。そこでもう、爆発しちゃったんです!当時、四季のウィキッド上演を観たこととかそのウィキッドのジャズダンスがかっこよかったこととかが重なって「何が何でも作曲家になりたい!」と思ってしまって。
そこで親を説得し、そこから2年間で和声三巻までやり遂げ、国立音楽大学*3 の作曲家に入ったんです。

*2 和声三巻 = 作曲科の受験に必須の勉強

*3 国立音楽大学…東京都立川市にある私立の音楽大学。ここの附属図書館は音楽系書籍が充実している。(公式HP)

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実際に重野さんが使ってらっしゃった和声三巻

──作曲を教えてくださる人がすぐに見つからないこと、想像できます。一度別の道に行かれていろいろな勉強もして...。ようやく、ずっと想い続けた作曲家の道に入ったのですね。
では、重野さんが2016年に事務所を設立したきっかけには、葛藤やショーの作品に携わりたいという想いが関係しているのでしょうか?

国立音楽大学を卒業後、作曲家を諦めて技術スタッフとしてある団体に入ったのです。体力的に厳しい現場だったのですが、そんな中、オリジナルのショーの音楽を作らせてもらう機会がありまして、疲れ果てた身体で「一小節だけでも音楽を作ろう」ってピアノに座って音を探り始めた瞬間、すごい幸せな気持ちになって、「あ、僕は作曲をやらなきゃだめだ」って思ったんですよ。実際に出来上がったショーで自分が作った音楽が流れた時には感動しました。

その時の気持ちが原動力になって会社を立ち上げました。半年間頑張って仕事がなかったら作曲家を諦めて就職しようと思いながら、周りに仕事があったらほしいと作曲家になりたいと主張していったんです。いろいろな人にいろいろな人を紹介してもらってお会いしてプレゼンをしてなどを繰り返す中で、広告・映像の制作を行う株式会社ロボットさんからプラネタリウムの音楽の作曲のお仕事をもらったり教材アニメのお仕事をもらったりして、なんとか仕事が続いて今に至ります。

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──すごい大活躍ですね。

今まで伺ったように重野さんは作曲のお仕事をしていますが、最近では音楽スタジオの運営もしていらっしゃいます。どうして始めたのでしょうか?

これはコロナ前のことなんですが、いろいろな方と出会いがあってお仕事をいただく中で、ありがたいことに私自身の稼働時間がお仕事ですべて埋まったんですね。今までの「音楽を制作する」というお仕事の方向性のまま私一人で作曲をしても頭打ちになることが見えていると思いまして、「じゃあ新しいことをしてみよう!」と思ったんです。

しばらく試行錯誤していましたが、お仕事の関係者のお知り合いにダンスのレンタルスタジオのオーナーさんがいらっしゃることを知り、その方のホームページを見てみました。その時にぴーんとつながって「スタジオができる!」と思ったんですね。それで、先ほどのダンスのレンタルスタジオのオーナーさんに情報をいただいて、いろいろな情報を得たり分析をしたりして、そこから半年後の2021年5月に第1号のスタジオを御茶ノ水にオープンしました。
この御茶ノ水のスタジオで、とてもありがたいことに、WAONスタジオにとても需要があることが分かったんです。だからその後に横浜に第2号を開設しました。そして、ここから先スタジオを増やしていくならば、自分一人で作ると頭打ちになるのでスタジオを作りたい人を探す方向にシフトする方が良いと思いまして、興味を持ってくれた知り合いの方にフランチャイズとして第3号を開設していただきました。

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──3号店までスタジオができ、フランチャイズもされているなのですね。

最後に、重野さんのこれからの仕事の展望をお聞かせいただけますか?

これからは、スタジオなどの事業は経営したいからやるもの、作曲は作曲がしたい・何かを作りたいからやるもの、と分けていきたいですね。
そして、これからは舞台の作品、僕は「ショー」と呼んでいるんですけれども、ショーの仕事もできるように活動していきたいです。もともと作曲家になれると思っていなかった身なので今は儲けもんなんですけど、作曲をさせてもらえるようになった今は、やっぱり自分が作曲家を志したきっかけがブロードウェイだったのもあって、ショーのための音楽を作りたいんです。これからはそのための道も考え探していきたいです。

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重野さんが作曲を志したきっかけ、作曲家になるまでの奮闘、そして作曲家としての活動と起業すると決意した理由などを伺いました。

重野さんの精力的にやりたいことを実現させていくお姿がとても魅力的でした。

貴重なお話しをありがとうございました。

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